前回、口の中の傷がめったに化膿しないのは、唾液中のさまざまな抗菌物質の働きであることを紹介しましたが、唾液には別の仕掛けも用意されています。その一つは唾液中の上皮成長因子(EGF)で、皮膚や粘膜の細胞を活性化して傷の修復を促すものです。
EGFは、1962年に米国の生化学者スタンリー・コーエン博士が発見したもので、唾液や乳汁、妊婦の尿中に多く含まれ、微量ですが涙や血液などほとんどすべての体液に存在します。現在では、遺伝子工学的に合成されたEGFにより、やけどなどの治療のみならず、スキンケアなど美容面でも応用され、その有効性が認められています。
もう一つは、コーエン博士の師でもあるイタリア出身の神経学者レビ・モンタルチーニ博士が50年代に発見した神経成長因子(NGF)です。もともとは皮膚や唾液腺で作られ、神経細胞を活性化し、脳神経の機能を回復する能力を持つ物質ですが、唾液中のものは、傷が治る過程でもEGFと同様の役割を果たすことが明らかとなっています。
さて、私たちは、起きているときは食事以外にも常に唾液を少しずつ飲み込んでいるので、その中のEGFやNGFが口の中だけでなく、食道や胃腸などの消化管粘膜の修復や再生に一定の役割を果たしています。よくかんでたっぷりと唾液を出し、天の配列ともいえるEGFやNGFの恩恵にあずかりたいものです。
両博士はEGFとNGFの研究業績が評価され、86年にそろってノーベル医学生理学賞を受けています。現在、コーエン博士は88歳。モンタルチーニ博士は102歳で歴代最年長のノーベル賞受賞者となりました。
2011.7.6 北海道新聞