今月始まった医療事故調査制度では、全国約6万9千カ所の歯科診療所にも、予期せぬ死亡事故に関する院内調査などが義務づけられている。だが歯科医師からは「治療が生死に関わる事例はまれ」との声もあり、制度の認知が進んでいないのが実情だ。専門家は、リスクを認識し、原因究明と再発防止を目的とする制度をきちんと運用するよう求めている。
▽小規模施設
9月下旬。日本歯科医師会が、制度に関する研修会を東京都内で開いた。出席したのは、各都道府県歯科医師会で医療安全を担当する約80人。質疑の中で、ある参加者は「調査の対象事案かどうかを判断する明確な基準はないのか」と戸惑いの表情を浮かべた。
今月1日にスタートした制度は、診療行為に関連して予期しない患者の死亡事案が起きた際、当事者である医療機関による院内調査や、第三者機関への報告を定めている。国内18万カ所の医療機関が対象で、歯科分野も例外ではない。
ただ歯科医師会に所属している多くは、小規模な診療所を運営する民間の開業医。同会の瀬古口精良(せこぐち・あきよし)常務理事は「対象事例かどうかの判断も含め、規模の小さな施設が単独で対応するのは不可能だ」。制度上、支援団体が専門家の派遣などを請け負うことになっており、「死亡事案が起きれば、支援団体に指定された都道府県の歯科医師会にまず連絡し連携を取ってほしい」と呼び掛ける。
▽シンポ中止
そもそも歯科医師の間で、制度への認知と理解がどの程度進んでいるのかは不明だ。東京都内で診療所を営む男性歯科医師(68)は「周囲の歯科医の間で事故調査制度が話題に上ることはなく、始まること自体を知らない開業医もいるのではないか」と明かす。
実際、医療安全の関連学会は9月上旬に、今回の制度と歯科医療をテーマにしたシンポジウムを予定していたが、参加者が集まらず、結局中止になったという。
この歯科医師は「日常の診療の中で、患者が死亡するような重大事故を身近に感じることはない」とも話す。
▽麻酔事故も
しかし、鶴見大の佐藤慶太(さとう・けいた)教授の調査によると、歯科医療に関連して起きた死亡事案は2002年からの約10年間に少なくとも33例あったことが確認された。佐藤教授は「把握できていない事例もあるとみられ、あくまで最少の件数と考えるべきだろう。死亡がレアケースとは思わない方がいい」とくぎを刺す。
日本大の小室歳信(こむろ・としのぶ)教授も、制度の対象となる事案は年に10件程度起こるとの見方を示す。「これまでも、麻酔薬でのアナフィラキシーショックによる死亡例や、抜歯した歯や治療に使う脱脂綿を口内に落とし、気道に詰まって窒息死した例があった」と説明。こうしたケースが起これば、制度の対象となる可能性があると指摘する。
その上で、制度を適切に運用することで歯科医師の間でも死亡事例の情報を共有し、再発防止につなげる意義を強調。「人の命を預かっているとあらためて自覚しなくてはならない。カルテを整備し、万が一事故が起きた際は、使った器具や薬剤などの『証拠』を保存し、調査がスムーズに進むよう留意する必要がある」としている。